2026年11月02日 18:23更新
中条地区出身で江戸末期に活躍した漢方医、尾台榕堂をたたえる記念碑が東京都中央区八重洲の住居跡に建てられてから15周年を迎えました。このほど十日町市内の関係者たちが29日(木)に記念碑の見学に訪れ、建立に協力した中央区に感謝を伝えました。
尾台榕堂は江戸時代末期に活躍した医師で、特に漢方医学の発展に大きく貢献した人物です。榕堂は旧中条村で代々医師を営む小杉家の四男として1799年に生まれ、16歳の時に江戸に渡り、漢方医の尾台浅嶽に入門しました。そのあと一度故郷に戻り家業を継ぎますが、1834年 36歳の時に恩師の浅嶽が亡くなったため、再び江戸に戻って尾台家を継ぎました。
1856年には漢方薬の処方について自身の治療経験を交えて解説した医学書「類聚方広義」を出版。当時の漢方医の学びや治療技術の発展に大きく貢献したとされ、現代でも漢方処方の参考書として広く読み継がれています。
また、その優れた医術が認められ、江戸幕府の第14代将軍 徳川家茂に仕える御典医にも選ばれました。このとき榕堂は、「庶民の診療も続ける」「診察に呼ばれた時だけ江戸城に行く」「頭髪を剃らない」という当時では異例だった条件を幕府に認めさせました。
平成23年の記念碑除幕式
こうした功績をたたえようと、平成23年に中条地区の住民有志が榕堂の住居があった東京駅八重洲口の近くに榕堂が子どもを診ている様子を描いた記念碑を建てました。
このほど建立から15周年を迎えたことを記念して、市内の関係者たち約30人が記念碑を訪れ、郷土が誇る名医の遺徳を忍びました。また一行は中央区役所も訪れ、記念碑の建立や維持に協力してくれたことに感謝を伝えました。
中条地区振興会 吉村重敏 相談役
「尾台榕堂を漢方医学の最高峰と呼ぶ人がいて、現代漢方医学の祖と呼ぶ人がいる数百年に一人の人材だと言われている。江戸ですごく人気があって、庶民の味方でお願いすれば昼夜問わず診療してくれて信頼があった。江戸の1等地に住居を構えていた。新潟県人として尾台榕堂を知ってもらいたい。十日町市民に記念碑を訪れてほしい。修学旅行などもチャンスだと思うので、訪れてもらいたい。中条地区の誇り」
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